キャリア・学び

きらり臨床検査技師 [第24回]浦 みどりさん(神戸常盤大学保健科学部医療検査学科 准教授)
企業健診、英国留学、大学病院、そして大学教員に。 多様なチャレンジが、今の私をつくっている

2025.12.17 06:00 会員限定記事を示すアイコン



浦みどりさんは、英文科への入学を控えていた高校3年生の春休みに入院したことをきっかけに、医療系学部への進路変更を決意。1年間の仮面浪人を経て、北里大学医療衛生学部へ入学した。

卒業後のキャリアの道も、まっすぐではない。市中病院や健診センターに勤務した後、英国の大学院へ留学。帰国後は、モロッコやカンボジアの母子保健プロジェクトに参画した。30代半ばで、「臨床検査技師として一度、しっかり仕事をしよう」と改めて決意し、信州大学医学部附属病院に入職。7年ほど経験を積んで博士号を取得し、現在は、次世代の臨床検査技師を育てる教員の道を歩んでいる。

「失敗はたくさんありますが、失敗で終わらせない。もう1回やってみたら成功するかもしれないし、失敗も後から考えたら転機と言えるかもしれない。さまざまな職場や海外で経験したことは、学生たちに話をする際の引き出しになっている」と語る浦さん。進路変更を決断した背景やキャリアの転換点などについて話を聞いた。


 

英文科で学ぶ予定が一転、仮面浪人に

―臨床検査技師を志した理由を教えてください。

高校生の頃は、医療系学部に関心があったものの、理系科目に対して苦手意識があったので「私には無理」と諦めていて、大学は英文科に進むことが決まっていたんです。でも、入学直前の春休みに、膝の半月板の手術で入院したことが大きな転機になりました。病院で働く医療職の姿を見て、「医療系学部に進学したい」という気持ちが抑えられなくなったんです。

両親に相談したら、「英文科に籍を置いたまま勉強してみたら」と言ってくれて。1年間の仮面浪人を経て、横浜市の自宅から通える北里大学に進みました。医療職の中で自分に合いそうな気がしたのが臨床検査技師だったんです。

―就職先はどのように選んだのですか。

病院実習で生理検査に魅力を感じました。患者さんと直接やりとりができ、波形や画像から病変を見つけられるところが面白かったんです。規模の大きな病院に入ると、希望の部署に行けない可能性がありますよね。そこでまず、横浜市内の市中病院にアルバイトとして入り、午前は検体検査、午後はエコーなど生理検査の勉強ができる環境を選びました。

半年ほどして、企業健診を手がける東京都内の健診センターに転職。「都心で働いて、遊べる環境」は当時の自分に合っていました(笑)。健診業務では心電図などを担当し、定時で終わるので、先輩と飲みに行って…。本当に毎日遊んでいましたね。

 

英語の勉強を再開し、英国の大学院へ

―海外留学に踏み切った背景を教えてください。

20代後半になると、先輩や同僚たちが結婚や出産などで退職していきました。私は結婚に向かわず、「英語をやり直してみよう」と思って英会話スクールに通い始めたんです。そこで、仕事のために英語を学ぶ社会人や、資格取得・留学を目指す人に出会って、とても刺激を受けました。

もともと「いつか青年海外協力隊に参加してみたい」という漠然とした海外への思いはありました。それで、「今が最後のチャンスかもしれない」と考え、英国の大学院で公衆衛生学を学ぶことに決めました。

帰国後は、青年海外協力隊のモロッコの短期プロジェクトに参加して、手洗いや歯磨きなどの普及啓発に携わりました。さらに、信州大学の先生が取り組んでいたカンボジアの母子保健プロジェクトにも関わりました。健診のアルバイトをしながら、国際協力のプロジェクトを探してボランティアをしたり、国連機関でリサーチアシスタントとして活動しました。

モロッコの村にホームステイ 朝食の支度。心のこもったおもてなしに身も心も温まる。
モロッコの村にホームステイ 朝食の支度。心のこもったおもてなしに身も心も温まる
カンボジアの農村部 母子保健活動でヘルスセンターを視察。新米ママによる体重測定。
カンボジアの農村部 母子保健活動でヘルスセンターを視察、新米ママによる体重測定
カンボジアの農村部 母子手帳を見ながらインタビューに答える妊産婦
カンボジアの農村部 母子手帳を見ながらインタビューに答える妊産婦

30代半ば、もう一度、検査技師の仕事に

―その後、大学病院に入職されたのはなぜですか。

国際協力はとても楽しかったのですが、周りの人から「本業は何なの?」と聞かれることがありました。自分の専門性を考えた時に、「臨床検査技師という原点に立ち返って、一度しっかり仕事をしてみたい」と思いました。そこで、30代半ばで、信州大学医学部附属病院に入職したんです。

それまで経験していた職場とは違って、大学病院での業務は一筋縄ではいきませんでした。自分より知識も経験も豊富な年下の同僚がたくさんいて、「自分には足りないことだらけだ」と痛感。重症の患者さんもいますので、自分の知識やスキルの不足が診断や治療に影響すると考えると恐怖さえ感じました。

とにかく必死で勉強しましたね。大学病院には研究に取り組むことを後押ししてくれる環境があり、同僚に励まされながら博士号も取得できました。

 

学生と向き合う日々へ

―教員の道に進んだ理由を教えてください。

カンボジアのプロジェクトでお世話になった先生から、「あなたは、教員に向いていると思う」と言われ、驚きましたが、それが心に残っていて、博士号取得を目指す頃から教員への道を考え始めました。

人と接することは好きなので、教員として学生と向き合うのは楽しいですね。もちろん、授業がうまくいかないこともあり、レポートの考察を見て、「授業であんなに強調したのに、全然伝わってなかった」なんてことも(笑)。学生との距離感や教え方の工夫はまだまだ試行錯誤です。

1997年から続く神戸常盤大学とネパールとの交換研修
1997年から続く神戸常盤大学とネパールとの交換研修


―若手へのメッセージをお願いします。

私自身、医療系学部への進学や海外協力隊への参加に興味を持っていたものの、高校生の頃は「自分には無理」と思い込んでしまっていました。今振り返ると、「実際にやってみないと分からないことが本当にたくさんある」と思います。周りの人たちに恵まれてきたことも、多くの得難い経験に繋がっていきました。

若手の皆さんには、失敗を恐れず、チャレンジしてほしいですね。失敗しても、それを失敗で終わらせなければいい。次のチャレンジにつながる経験だったと考えればいいんです。

そして、漠然とした思いでも、誰かに話してみることを強くお勧めします。他人に話すことで考えが整理されますし、背中を押してくれる人に出会えることもあります。視野を広げて、今しか出来ない貴重な経験をしていってほしいです。

続きを見るには会員登録
(無料)が必要です

会員登録していただくと、すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能など、便利な機能がご利用いただけます。

MTJメールニュースの会員のみなさまへ

MTJメールニュースは、WEBサイト「MTJ ONE」にリニューアルいたしました。
お手数ですが、下記より再度、新規会員登録をお願いします。

すでに会員の方はこちらからログイン