キャリア・学び

Voice of Lab. file 11 鈴木 崇真(奈良県総合医療センター臨床検査部)
臨床検査技師であり続けること——ルーチンの積み重ねの先に見えたもの

2026.09.25 06:00 会員限定記事を示すアイコン



学生時代を振り返ると、私は臨床検査技師という職業を、ひたすら検査を行う仕事なのだろうと漠然と捉えていました。けれど臨床検査技師として働き始めて11年目になった今、職業名に含まれる“臨床”と“技師”という言葉の意味が、以前とは少し違って見えています。私は臨床検査技師として働きながら、社会人大学院生として人文学研究科にも在学しています。臨床検査と人文学。その間を行き来するなかで、私が考えるようになったのは、「臨床検査技師」であることとは何か、という問いでした。

ここでは、私自身の経験とともに、その問いを振り返ってみたいと思います。


 

私、こんなことしてます!

1.“臨床”検査技師を問う

入職1年目の頃、臨床検査技師も研究に携わることができるのだと知りました。以来、学術活動などにもそれなりに取り組んできたつもりです。しかし、同時に“臨床”検査技師が行う学術活動とは一体何なのだろうか、という疑問も、どこかで抱き続けてきました。

現時点での私なりの答えを述べるなら、それは日常業務、いわゆるルーチンの延長にあるものだと思います。最終的に患者へ還元されるものでなければ、たとえ形になったとしても自己満足に近いものになってしまうのではないか。その成果の着地点は、常に患者に向けられている必要があるのではないか。そう考えています。

 

2.臨床検査“技師”を問う

昨今、ISOをはじめとして、検査の標準化が重要視されていることは周知のことと思います。では、そのような時代において、臨床検査を行う“技師”とは何なのでしょうか。

技師とは、当然ながら技術を担う者のことです。しかし、標準化が進めば、原則として技能に差は生じないはずではないか。けれど現実にはどうでしょう。私が担当する微生物検査で考えてみても、初心者と熟練者とでは、同じ検体・同じ培地を前にしていても、検出菌を拾えるかどうかに差が生じる場面があります。

これは標準化を否定するものではありません。むしろ逆だと思います。プロトコルが標準化されているからこそ、その上に積み重なる観察力、判断力、経験値が見えてくるのではないか。この検体が自分の手元に届いたからこそ、自分がこの患者に関わったからこそ、診断や治療が少しだけスムーズに進んだ。そうした場面が日常業務の中には確かに存在するのだと思います。そう考えると、標準化された日常業務にこそ、臨床検査“技師”としての自負心が生まれてくるのではないでしょうか。

 

3.臨床検査技師である“私”を問う

では、“私”は臨床検査技師としてどのように歩んできたのか。そう問われれば、やはり私は、日々のルーチンを堅実に積み重ねてきた技師なのだと思います。それは一見すると、特別なことではないように感じられるかもしれません。けれど、臨床検査技師としての歩みを振り返ると、さまざまな機会はいつも日常業務の延長線上にありました。

人文学領域の大学院への進学を決めた理由を聞かれることがあります。しかし、正直なところ、その理由はうまく説明できません。本が好きだったことは事実ですが、単にそれだけで進学を決めた、というのは我ながら違うよな、と思います。

少なくとも転機となったのは、上司から「大学院に行ってみないか」と声をかけていただいたことでした。そのとき私が真っ先に思ったのは、「なら文学部に行こう」でした。

では、なぜそう思ったのか。臨床検査技師の仕事は、検体と向き合う仕事です。私も微生物検査に携わりながら、毎日同じように検体を受け取り、培養し、結果を報告してきました。しかし、その繰り返しのなかである種の疑問を抱くようになり、次第に検体の向こう側へ目を向けるようになりました。

「この結果は、どのように患者さんの治療につながるのだろうか」
「この報告を待っている主治医は、何を考えているのだろうか」

検査室の中だけでは見えないものに関心を持つようになり、行き着いた先は「検体の向こう側を見なくては、他の誰でもなく、“私”である自分が検査をやる意味がない」というものでした。

検査結果を正確に返すことは臨床検査技師として最も重要な役割ですが、その一方で均質化と受け取られがちな標準化への抗いと、検査結果の先にある医療、さらには人間と社会に関心を向けなくてはならない——そう思いました。その思いが、結果として人文学研究科への進学にもつながったのだと思います。

また、今振り返ると、大学院進学の話そのものも日常業務の延長線上にあったように感じています。上司から声をかけていただいたのは、私に特別な才能があったからではなく、日々の業務を積み重ねてきたからに違いありません。技師会や企業のセミナーでお話しする機会、こうして文章を書く機会をいただいたことも同様です。

奈良県臨床検査技師学会シンポジウム(左)、SDC近畿感染症セミナー(右)で講演したときの様子
奈良県臨床検査技師学会シンポジウム(左)、SDC近畿感染症セミナー(右)で講演したときの様子

ルーチンという言葉には、単調な繰り返しという印象があるかもしれません。しかし私自身の経験を振り返ると、その積み重ねが思いもよらない縁や機会を運んできてくれました。もちろん華やかな経歴や大きな挑戦だけが、臨床検査技師としての価値を示すわけではないでしょう。むしろ、そのような活動を支えている土台である日々の検査、日々の報告、日々の判断の一つひとつに“臨床検査技師”としての価値があるはずです。その意味での“私”とは、特別な場所にあらかじめ存在するものではなく、ルーチンの中で少しずつ見つけ出していくものなのかもしれません。

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